藤澤専之介氏インタビュー

【RPA×起業】 RPA業界の風雲児、藤澤専之介が語るRPAとの出会い。

藤澤専之介氏インタビュー

近年、RPA業界は飛ぶ鳥を落とす勢いで拡大し続けている。

様々なバックグラウンドを持った人たちが、RPA業界に足を踏み入れ、活躍するようになったのだ。

「働くことを我慢しない社会を創る」

今回は、この言葉を理念として掲げRPA業界で活躍する、藤澤専之介氏を直撃取材した。

                    

Peaceful Morning株式会社代表取締役の藤澤専之介氏。
「我慢しないで働ける社会を創る」ことをミッションに掲げ、RPAの会社を立ち上げた。

RPAと出会うまで

現在は、Peaceful Morning㈱CEO・RPA HACK編集長として活躍している藤澤氏。

なぜ彼はRPA業界での起業を決意したのか。

その答えのカギとなる彼の人生を振り返っていく。

将来の夢は「役者」

今から遡ること約18年。

当時、高校1年生になった藤澤少年は『セリフをもらってドラマに出演したい』という夢を叶えるため、劇団に所属していた。

高校1年生から2年生までエキストラとして活動していたのだが、社会人の年齢でもエキストラとして活動している先輩たちを見て、この業界の厳しさを痛感したと言う。

そんな時、父から勧められたある1冊の本と出会った。

その本とは、世界的ベストセラーにもなった『金持ち父さん貧乏父さん』(著者:ロバート・キヨサキ)だ。

この本が、彼が”起業”に興味を持つきっかけとなった。

高校生の頃から「起業したい」と考えていた藤澤少年は、大学では経営学を専攻したが、大学卒業後進んだ道は就職という道だった。

ファーストキャリアに選んだ道とは

前澤氏が大学卒業後選んだ先は、起業でもなくベンチャーでもなく、大企業だった。

「起業する前に1度は大企業で社会人として勉強したい」

そう思って就いた職は経理だった。

起業への第一歩!? 〜ベンチャーでの経験〜

大企業で3年勤めた後、起業への第一歩として、人材会社のベンチャーに転職した。

スタートアップ3人目の社員として入ったため、起業に近い体験ができたと言う。

ここでは約2年の間、事業を動かす側として、営業やマーケティングなど人材紹介にまつわる業務はなんでもやった。

そんな中、藤澤氏はあることに気づいた。

「小さい会社は基本名前がないから、会社の名前を売るよりも自分の名前を売ったほうが早い」

自分の名前で勝負し、その中でネットワークを広げていくことで様々な人と触れ合い価値観を広げる中で、ベンチャー企業の社長とも知り合いになった。

その頃から、ベンチャーの社長になっても食べていける自信を持てるようになったという。

しかし、いざ起業しようと思っても”何をどのように事業を立ち上げるか”が重要だ。

「なくてはならない価値やサービスを作りたい。作れる人になりたい。」

「小さな会社を作るよりも大きな会社で社会にインパクトのある事業を出したほうが世の中のためになるんじゃないか」

それらの思いが強くなればなるほど見えてきた選択肢は、”起業”ではなく”大企業での新規サービス立案”という道が頭をよぎるようになった。

夢の実現に向けた選択 〜大企業で再び〜

「大きい会社の方が、自分が新規サービスを作ったときに価値あるサービス・世の中になくてはならないサービスを作れそう」

その選択に辿り着いた藤澤氏は、人材業界の大企業に転職した。

そこでは、事業の0→1を立ち上げる部署の一員として活躍した。

1社目での”経理”、2社目での”起業に近い体験”、そしてこの3社目での”新規サービス立案の経験”、それぞれ異なる経験をして様々なフェーズで活躍したことによって、自信がついたという。

大きい会社の方が、自分が新規サービスを作ったときに価値あるサービス・世の中になくてはならないサービスを作れそうと思っていた藤澤氏だが、ちょうどこの頃「やっぱり起業したい!」と思うようになったという。

きっかけは主に3つあるそうだ。

1つ目は、2社目での『田舎町へ行く』という選抜研修で交流した地元の人々との出会いだった。

研修内容は、栃木県にて、ビジネスのことを考えずただただその場で人々と交流して過ごすというものだった。

地元の人を見ていると、彼らはただただ皆でお餅をついたり皆で持ち寄ってご飯を食べたりすることが心底楽しそう・幸せそうな顔をしているなと思ったという。

「一方で僕は、ビジネス上での成功を考えていたから、みんなでお餅ついている瞬間や一緒にご飯食べている瞬間に心から笑えていなかったところがあった」

そこから”本当の幸せってなんだろう”ということを考えはじめた。

2つ目は、経済的ではない幸せもあるということに気づいたからだという。

きっかけは、横浜にある子育て事業の企業で、プロボノ(各分野の専門家が、職業上持っている知識やスキルを無償提供して社会貢献するボランティア活動全般)をしたことだ。

「その企業の社長さんは、”儲けるため”じゃなくて、ただただ自分のやりたいことを一生懸命やっていたんだよね。」

その社長さんの姿を見て、そういう起業もいいなと思うようになったという。

3つ目は、大企業の新規事業担当として名刺交換をする時に感じたことだった。

「ベンチャーの社長と名刺交換する時に”こいつ何も権限ないやつだな”という雰囲気があるでしょ。実際、大企業の中の一人はそんなに権限ないわけだし。」

自分も権限がある側(ベンチャー社長)に行きたいなと思ったことも大きな原動力となった。

そしてついに起業の道へと進むことになるが…

なぜ「起業×RPA」なのか

起業するために昨年7月末に会社を辞めた藤澤氏。

その時はまだ『RPA事業』での起業は頭にはなかったという。

その時の藤澤氏の頭の中にあった事業内容とは…

起業人生の幕開け

まず最初に考え出した事業は『子育てサービス』だった。

その事業内容に取り組もうと思ったきっかけは、2社目に勤務している頃、田舎町で出会った人々の”本当に笑っている価値”を思い出し、”自分自身が心の底から笑顔でいられる価値”ってなんだろうと考えていた時に出てきた答えだったという。

「子ども(現在5歳と1歳)と過ごす時間や家族と過ごす時間が仕事よりも大切だと思ったんだよね」

家族を想いながらそう話す藤澤氏の顔は、満面の笑みで溢れていた。

そのような”自身の気づき”にフォーカスをあてた事業をやりたいと思いついた事業内容が、『子供の言葉を記録するサービス』だった。

きっかけは当時4歳だった子どもの言葉だった。

「これって妖怪がジョウロで水を垂らしているんじゃないの?」

雨が降っているのを見て、発した言葉らしい。

「子どもの表現力って面白い。でも記録していなかったらこんな素敵な表現も忘れてしまうかもしれない。それってもったいなすぎる!」

この想いから始めようとした事業内容だったが、マネタイズの兆しが見えず、お金を稼ぐために再び就職することになった。

RPAに着目したきっかけとは

その就職先の会社が人事のアウトソーシングをしているRPAの会社だったのだ。

しかし、その会社に入った頃は、RPAに着目することはなく、ただただ”子育てサービス事業をするための準備”をしていたという。

元々、『RPA』という言葉は知っていたけれど、『RPAについての詳しいこと』までは知らなかったという藤澤氏。

そんな時、藤澤氏は、RPAに着目するきっかけとなった”ある一言”に出会う。

その一言とは、ある投資家(起業メンター)と会って相談した時に、その投資家から言われた一言だった。

「やりたいことはどちらかというとプロダクトアウトで、できることというのは、もうすでに市場があるからマーケットインだよ。そこにいま自信が持てないんだったら、できることでやって、それをやりたいことに近づけていったらいいんじゃない?

(編集部注:
プロダクトアウト=買い手(顧客)のニーズよりも、「作り手がいいと思うものを作る」という考え方)

この言葉をきっかけに、彼は、「確かに僕はやりたいことで起業しようとしている。僕の場合はやりたいことを全力でやっていこうと思っていたけど、できることにそのやりたいことを近づけるやり方にフォーカスをあててやってみよう」と考えるようになった。

その時に、『なぜ自分は”子育てサービス”をやりたいと思ったのか』を振りかえってみたという。

その時、藤澤氏の中で”ひらめき”が起きた。

「RPAというテクノロジーを使えば、自分以外が働くという世界が作れるからもっと早く帰れるようになる!そうすれば”家族で過ごす時間”や”子どもと過ごす時間”を作り出すことができる!」

そもそも”家族で過ごす時間”とか”子どもと過ごす時間”にフォーカスした事業をやりたいと思っていた藤澤氏。

さらに、RPAは成長しているマーケットだ。

加えて、人事としてとは言えど、RPAの会社に勤めていたことでRPA業界のことは多少なりともわかるし、ネットワークもある。

RPAに着目することで『やりたいこととできること両方の実現』ができるとひらめいたことで藤澤氏の”RPA×起業”人生がはじまった。

昨年の9月にRPA業界に参入した藤澤氏。

「まだ1年も経っていない!!!」と驚きを隠せない取材陣だった。

ここまでの藤澤氏の人生を振り返り、”その時の選択”は様々な経験・様々な出会いがあったからこその選択だったのだと感じる場面が多くあった。

そんな藤澤氏が『やりたいこととできることの両立』としてRPAに着目した後、RPA業界に参入してから現在までのストーリーとは。

起業内容の全貌

9月の時点では、前にRPAの会社にいたけどRPAの業界のことをちゃんと把握はできていなかったという藤澤氏。

しかし、1つだけ確信していることがあった。

それは、『RPA業界は間違いなく成長しているマーケットだから、その業界についてちゃんと理解できれば、ホワイトスペースは絶対にある』ということだ。

そのため、まずはホワイトスペースをみつけるために業界理解をしようと動き出した藤澤氏。

まず藤澤氏が手をつけたのは”はてなブログ”だった。

この”はてなブログ”を使ったことによって、多くのネットワークを作ることができたという。

その流れを見ていこう。

最初は”毎日更新”を決まりごとにしたという藤澤氏。

理由は業界のキーマンなどから連絡がくるようになると思ったからだという。

その結果、”毎日更新”を10日ほどやると少しずつ連絡がくるようになり、それがきっかけで多くのつながりができ、より詳しい業界の最新情報を得ることができた。

そして、その情報を”生の情報”としてまたブログに載せることによって、さらに連絡がくる…という好循環につながったという。

その後、彼が作ったのはカオスマップだった。

「”連絡をもらうための手法”のネットワークを作って、業界の解像度をあげるために自分と関係あるなと思う人が多い記事を出したらより連絡くるぞと思った」

自分の会社のロゴが載っていたら絶対嬉しいし、載ってなくても「載せて」と連絡がくるからダブル効果が期待できる。

結果的に「載せてください」「載せてくれてありがとうございます」という連絡も多くなり、さらにネットワークが広がったという。

その結果、そのブログがだんだんRPA HACKの誕生に繋がっていった。

そうすることで、さらに業界の様々な側面の人と繋がり、話を聞き、記事化しながら、業界の様々な側面から見たRPA業界の解像度を開けていったという。

このように、”はてなブログ”から始まったネットワーク作りは”RPA HACK”というメディア立ち上げに繋がり、現在の事業の骨組みが確率されていった。

RPA業界での仮説とは

メディアの立ち上げによって、ネットワークの幅の広がりは加速していった。

様々な側面からRPA業界を知った藤澤氏が立てた3つの仮説とは…

仮説①

仮説の1つ目は、『このマーケットに参入が多くなるということは明確である』ということだ。

差別化は難しいと見た藤澤氏は、差別化するためのマーケティングやプランニングが必要になることを予測し、コンテンツ提供するサービスやメディアが伸びるだろうと考えた。

この仮説から、RPA HACKに力を入れてやっていこうと決意したという。

仮説②

仮説の2つ目は、『どの会社も一生懸命導入を進める』ということだ。

この仮説から、教育のニーズがあると見た藤澤氏は、RPAのオンライン研修を始めた。

仮説③

仮説の3つ目は、『いろんな会社に入ると開発リソースが足りないという問題点が必ず出てくる』ということだ。

この仮説から、そこをフリーランスなどでプラットフォームを作って抱えていったらニーズがあるのではないかと考えた藤澤氏は、フリーランスを抱える事業もやろうと動き出した。

現在は、この3つの仮説を立てて事業をやっている。

この3つの中でも特に、「現在は、フリーランスなどのプラットホームの事業がが1番伸びるかなと思って、一生懸命やっている」と語る藤澤氏。

RPA業界で事業を起こし活躍する彼が力を入れている事業が”フリーランスなどのプラットホーム”ということは、『RPA×フリーランス』の需給は増加しているのか。

この部分は、次章で明らかにしていく。

<RPA業界での起業>直面した”壁”とは

事業を作っていくときに大変だったこととして、3つ挙げた藤澤氏。

RPA業界だけでなく、多くの起業家が直面するであろう”壁”をどう乗り越えたのか。

直面した”壁”とともに、藤澤流の”解決策”を見ていこう。

自分の知名度を上げること

「RPA事業を始めようとしたとき、僕はRPA業界の何者でもないし、IT業界の何者でもない状態から、何者かになるという「0→0.1」の作業が大変だった」と語る藤澤氏。

そんな彼がこの壁を乗り越えた解決策は、こうだ。

個人が発信力を持ち続けるという努力をすることで、”情報発信してくれる人”という立ち位置をGETする

この行動から、知名度を上げることができ、”何者か”になることができたと言う。

「個人が発信力を持ち何者かになったとき、どう事業につながっていくかという体験はありましたか?」という取材陣の問いかけに対し、藤澤氏はこう語る。

「情報発信をしまくって、人と会っていくと、会っていく中でお客さんができた。」

記事を書いたり情報発信していくと、次第に「うちのコンテンツを外注してよ」という声が多くなり、それが1番最初の仕事となったという。

さらに、「ホワイトペーパー作ってよ」という声も多くなった。

つまり、発信力を持った何者かになることもネットワークが広がることに繋がり、仕事の幅が広がった。

最初は、そのようなことを色々やっていく中で”何が伸びる事業かな”という見定めをしていたという藤澤氏。

その結果、様々な経験ができたという。

”社員とともに”事業を伸ばすこと

「事業の大変さは、立ち上げ当初より、今現在の方が大変」

このような言葉を発する理由は何なのか。

そこには、”組織”という壁があった。

伸ばすべき事業が決まり、その事業を伸ばすためにそこにリソースをどんどん導入していかないといけなくなるにつれ、関わる人の数が増えていく。

つまり、自分以外の会社に関わる社員の人とかとともに関わるということだ。

「最初は、自分が好き勝手やりたいようにやっていればよかったけど、だんだんそうはいかなくなってきた」

現在の社員数は、業務委託の人も含めると9人ほどいる。

組織で動く大変さを身にしみて感じたという。

モチベーションを維持すること

モチベーションを常に維持することは難しいと感じていた藤澤氏は、「サボらない仕組みをつくりたかった」と語る。

そこで彼が考え出した解決策は、”あえて、投資してくれている投資家の人に企業(起業?)メンターになってもらい、その投資家と週1回ミーティングをする”ということだ。

つまり、『1週間でどのくらい動くことができて結果がどのくらい出たのか』ということを週に1度、第三者に提示する”場”がある。

1週間でどのくらい動き出して結果が出せるかということを常に意識しながら仕事をすることでしんどいけれどサボらない仕組みを作ることができたという。

そして、起業するときに『誰かのお金を入れる』ということも、”サボらない仕組み作り”を加速させた。

元々、起業するときに、「誰かのお金を入れたかった」という藤澤氏。

その理由は、”稼ぐためではなく、『働くことを我慢しない社会を作る』というビジョンを達成するために起業したかった”から。

「100%出資で会社を経営するやり方も良いとは思うけど、言ってみればそれは自分の会社なので、そこで稼いだお金を自分の車を買うことに使うこともできる。」

「でもそういう経営スタイルって従業員の反発を買うのは間違いないし、僕もそういうことをしたいから起業するのではなく、今は『働くことを我慢しない世界を作る』というビジョンを掲げて、RPAなどのテクノロジーを使って、いかに自由に働くかを大事にしている」

「仕事も大切だけどプライベート(家族)も大切で、それを欲張りとは言われずに全部大切にできるようにしたい(全部を大切にできる会社を作りたいという思い)」

「だからそのためのスピードを上げていきたいし、それを提供できるサービスを届けたい」という藤澤氏。

つまり、『誰かのお金を入れる』ことは、資金需要というより、人のお金だと思うことで自分自身に”糧”をつくるためだという。

描くビジョンの全貌

藤澤氏が短中長期にこれから将来的に見据えるロードマップとは。

そしてその先にある”ビジョン・目指す社会”に至るまでのロードマップとは。

彼の描くビジョンの全貌を覗いてみた。

ビジョンの背景

『働くことを我慢しない社会をつくること』をビジョンに掲げている藤澤氏。

しかし、世の中では、『働くことを我慢しないこと』の定義ははっきりしていない。

働くことを我慢しないというのは、ブラック企業問題など、会社の中にいる人たちが心身をすり減らしてしまうことをやめたいというイメージなのか。

それとも『パラレルキャリア』や『フリーランス』など、もっと選択肢を増やして働ける社会というイメージなのか。

彼が考える『働くことを我慢しない』とはどのような状態を指すのかを言語化してもらった。

「会社の中でというよりは、社会の中として、『働き方を自由にしよう』を広げていきたい。」

そう語る背景には、彼の原体験があった。

共働きの生活の中での子育てをしている彼は、ある時、朝起きてから家を出るまでの時間がだんだんタスク化してしまっていることに気づいた。

子どもは、いきなり歩かなくなったりなど予想外のことをする事の繰り返し。

「”時間通りに家を出るためには、いかに効率的にやるか”ということに気を取られ、朝の時間を作業化し、タスクとして”ただただ”こなしている”自分がいた。」と語る藤澤氏。

しかし、本当に大切な時間って何だろうと考えたときに、おそらく子どもと過ごしている今この瞬間が実はすごく大切で、本当はもっとここを見つめなきゃいけない、大切にしないといけない時間だと気づいた彼。

「理想を言えば、こういう時間も楽しめて、なおかつ仕事も充実している状態が理想的。出社もなくせればいいと思うし、働く時間も状況に応じて短くし、それでも仕事は回っているという状態にできたらいいと思う。」

そして彼はこう続けた。

「子どもがいなくても、働くことだけを追い求めている人ってあまりいないと思う。働くこと”も”好きだし、趣味に時間を使っているとき”も”好きだし、家族やペットや友達との時間”も”大切だし、人それぞれ大切なものは仕事以外にもあると思う。どれかにフォーカスするためにどれかを無くさなければいけない状態をなくしたい。どれも大切にできる働き方をつくりたい。

描く未来像とは

猛スピードで加速し続けている藤澤氏のロードマップとは。

「現在は、フリーランス・副業の人でRPAの専門性を生かして働きたいという人は『RPAフリーランス』という名前でやっているけど、今年の10月末くらいまでには、『RPAHACKフリーランス』が誕生して、『RPAHACKフリーランス』として働く人たちが自分らしく働くための役に立っている状態を作りたいと思っている

さらに彼はこう付け足した。

「働くことを我慢しない社会を作るという点に関していうと、RPAというものが、より世の中に広がっていったときにはその会社のなかで働くことを我慢しないで働くことができる人が増えると思うし、逆にそれを提供する側の人たちもフリーランスや副業という働き方で提供できていれば自由度の高い、我慢しない働き方ができると思うため、そこは一石二鳥だと感じている」

ファーストステップはそこをやりたいと言う藤澤氏。

起業の流れから今、そして将来に至るところまでの全貌を明かしてくれた。

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PeacefulMorning株式会社は、2018年9月に設立されたばかりのベンチャー企業です。 RPA(Robotic…

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